2023.06.03
コラム
脳の多様性を考える 「ニューロ・ダイバーシティ」
「ニューロ・ダイバーシティ」とは、「自閉症やADHDは、人間の自然で正常な変異である」と捉える考え方です。
脳や神経の多様性を認め、その違いを尊重する考え方と言ってもいいでしょう。
いわゆる「発達障がい」の特徴を、障がいではなく、多様性の1つとして捉えます。*1:p.72
「ニューロ・ダイバーシティ」と言われても、多くの読者の方には耳慣れない言葉かもしれません。
しかし日本には、実に100万人を超える発達障がいのある人がいるとされています。*2:p.22
インクルーシブな働き方を実現する上で、避けて通れない考え方といえるでしょう。
そこで本稿では、国内外の事例と筆者の体験をふまえ、「ニューロ・ダイバ―シティ」の重要性について解説します。
難しそうでいて案外身近なこの概念について、理解の一助としてお役立て下さい。
いわゆる「発達障がい」とは
「発達障がい」とは、脳の働き方の違いにより、幼児のうちから行動面や情緒面に特徴がある状態のことを指します。*3
そのため、養育者が育児の悩みを抱えたり、子どもが生きづらさを感じたりすることもあります。
発達障がいの種類
「発達障がい」には、自閉症やアスペルガー症候群その他を含む広汎性発達障がい、学習障がい、注意欠陥多動性障がい(ADHD)などがあります。*4
図1 代表的な発達障がい
出典:厚生労働省「発達障害の理解のために」
https://www.mhlw.go.jp/seisaku/17.html
図1のように、種類によって独自の特徴がありますが、これらに限定されるものではありませんし、そのすべてが当てはまるわけでもありません。
また人によって程度も違うため、これらの特性だけをみて発達障がいの有無や種類を断定することは困難です。
見えない障がい
発達障がいの難しさのひとつに、「見えない障がい」であることが挙げられます。
行動特性があったとしても、一見身体的な兆候が見られない場合も多いため、以下の図2のように誤解されがちなのです。*2:p.7
図2 発達障がいが気づかれにくい原因と合併症
出典:NRI 野村総合研究所(2021)「デジタル社会における発達障害人材の更なる活躍機会とその経済的インパクト」p.7
https://www.nri.com/-/media/Corporate/jp/Files/PDF/knowledge/report/cc/mediaforum/2021/forum308.pdf?
発達障がいを抱えているのにもかかわらずその事実が把握できない場合、社会に馴染めずに引きこもってしまったり、うつ病などの合併症を抱えてしまったりするケースもあります。
発達障がいのある人の割合
では発達障がいに苦しむ人は、どのくらいいるのでしょうか。
小・中学生を対象に行った調査によると、自閉症やアスペルガー症候群などの広汎性発達障がいの特性を示す人々は、日本の人口の0.9~1.6%を占めている可能性があります。*5
発達性学習障がいがある子どもは、0.7~2.2%、成人のADHDは1.65%というデータもあり ます。*6:p.3、*7:p.15
これらを考え合わせると、なんらかの発達障がいを抱えている人々は、人口の数パーセントに上る可能性があるといえるでしょう。
ニューロ・ダイバースな人々
では、ニューロ・ダイバースな人々は、どのような状況の中で、どのような心情を抱えて生きているのでしょうか。
● 重度の自閉症を抱える東田直樹さん
東田直樹さんは、会話の出来ない重度の自閉症でありながら、パソコンや文字盤ポインティングによってコミュニケーションを図ることができます。*8-1
それは世界的にみても非常に稀なことだといわれています。
図3 文字盤ポインティング使う東田直樹さん
出典:東田直樹 オフィシャルサイト「プロフィール」
https://naoki-higashida.jp/profile/
直樹さんが人との違いを初めて意識したのは、幼稚園の頃でした。*9:No.128-139
奇声をあげたり、自分勝手に動いたりするたび、先生や友達が僕を怒ります。僕はなぜ自分が怒られるのか、まるでわかりませんでした。気が付くと、僕はクラスの問題児で、みんなを困らせる存在になっていました。
僕は悲しくて、悲しくて、心の中は張り裂けそうな毎日でした。話せなかったので、謝りたくても「ごめんなさい」も言えず、ただへらへらしている僕を見てあきれているみんなの顔を見るのが嫌でした。
この頃、自分が悪い子だということを、初めて知ったのです。
(どうしたら、みんなのようになれるのだろう)
僕は、いい子になりたくて、仕方ありませんでした。
けれども、みんなが当たり前にしていることさえ、僕には「宙返りをして」と言われるくらい難しいことだったのです。
ご両親はそんな直樹さんを心配していくつもの病院を訪れましたが、検査や診察をしても障がいが治ることはなく、悲しそうなご両親を見て、「僕なんかいなくなればいいのに」と何度も思ったといいます。*9:No.181-186
しかし、直樹さんは言葉を獲得しました。
13歳の時に執筆した『自閉症の僕が跳びはねる理由』で、理解されにくかった自閉症の内面を平易な言葉で伝え、注目を浴びます。2013年には同書の翻訳版「The Reason I Jump」が刊行され、現在30か国以上でベストセラーになっています。*8-1
「Forbes JAPAN」の世界を変える 30歳未満の30人「30 UNDER 30 JAPAN 2021」にも選ばれました。*8-2
豊かな内面と高い能力をもちながら、そのことを理解してもらえない自閉症の人々。
直樹さんはペンの力で、そうした人々とその家族に勇気を与え続けています。
● 筆者の経験
実は筆者は軽いADHDで、子どものころからたくさんのミスを犯してきました。
大人になっても失敗ばかり。
こんなことがありました。
ある日、冷蔵庫を買いに大型家電店に行き、さんざん迷った末にようやく機種を決めました。
うきうきしながら配達のための手続きを終え、いざ支払いという段になったとき「事件」が起きました。キャッシュ決済がふつうだった頃の話です。
財布の中に、入っているはずのお金がない!
(あれ? さっきATMで下ろしたばかりなのに、なんで? まさか、どこかに落とした?)
慌てて財布をまさぐると、ATMの明細書が出てきました。
(ああ、やっぱり下ろしたんだ。でも、じゃあ、お金はどこ?)
青くなって必死に思い出そうとしました。
(そういえば、あのとき娘が「ママ、なんか音がしてるよ」と言ったような気がする・・・、えっ? まさか、明細書だけ引き抜いて、お金を取るのを忘れた?)
あたふたとATMに戻ったのですが、案の定お金はありません。
次に来た人が持っていったのだろうか。
もしそうなら、もう戻ってはこないだろう。
私が悪いのだから、し方がない。
でも、どうしよう、冷蔵庫が買えない・・・。
すっかりしょげて、すごすごと帰宅しました。
叱られるのが怖くて、夫に打ち明けることもできません。
すると、翌朝、銀行から電話がかかってきました。
「昨日、何をなさったんですか?」
いきなりの詰問口調。
(どうして、わかったのだろう。お店の人が連絡したのだろうか・・・)
訝りながら経緯を話すと、
「残念ながら、お金はこちらに戻ってきておりません。犯罪を誘発しますので、二度とこのようなことをなさらないでください!」
口調はさらに厳しさを増し、すぐに警察に行くようにと指示されました。
重い足取りで、しかたなく交番に向かいます。
「どうしました?」
若い警官がノートを広げました。
ところが、彼は途中からメモを取る手を止めて、壁に向かったまま鉛筆をくるくる回し始めたのです。
(やはり、信じてもらえないのか・・・)
それまで様々な場面で様々なミスを犯したとき、それが不注意からだといくら説明してもなかなか信じてもらえませんでした。
嘘つき呼ばわりされたことも、責任逃れの言い訳だとなじられることもあります。
無理もありません。ふつうの人ならめったにしないようなとんでもないことを、性懲りもなく繰り返すのですから・・・。
くるり、とこちらに向き直った警官の顔には薄ら笑いが浮かんでいます。
「それはまるで、電車に乗るために駅に行って切符を買ったのに、電車に乗らずに帰ってきたみたいな話ですよね?」
ひどく惨めな気分なのに、なぜか笑えてきました。涙も少しこぼれました。
そんなことを数えきれないほど繰り返していると、自分はなんてダメな人間なのだろうと思えてきます。
自己肯定感が薄く、何事にも自信が持てず、何か思わしくないことが起こると「全部私が悪いんだ」と抱え込む癖は、そのせいかもしれません。
自分がADHDだと知ったのはつい4、5年前のことです。
そのときの衝撃は忘れられません。
すっかり持て余していた自分自身に対する疑問が一気に氷解し、ああ、そういうことだったのかと、ストンと腑に落ちました。
子どもの頃にわかっていたら、失敗の度にあれほど落ち込まずにすんだのにと思ったりします。
ADHDの人間が、そうと知らずに生きていくのはストレスフルなこと。
それは筆者の実感です。
しかし、遅まきながらADHDについて学ぶ中で、ニューロ・ダイバ―シティに出会いました。
非ADHDとADHDとは優劣の関係ではなく、脳のタイプが違うだけだという考え方を知ってからは、ありのままの自分をより肯定的に捉えることができるようになっています。
● ジェシカ・マケイブさん
最後に海外の事例をみてみましょう。
2017年、アメリカのジェシカ・マケイブさんはTEDxBratislavaのステージで自らの体験を語りました。*10-1
幼いころの彼女は利発で、末が楽しみだと、もてはやされていました。
ところが、中学生の頃になると、授業に遅刻したり宿題を忘れたりすることが頻繁になり、勉強にも支障が出るようになります。
ジェシカさんがADHDだという診断を受けたのは、その頃のことです。
投薬によって症状は改善したものの、大学は挫折して中退。
その後、10年間に15回の転職を繰り返し、結婚もすぐに破綻してしまいました。
度重なる失敗。
しかし、幸いなことに、彼女は自分がADHDであることがわかっていました。
ところが、有益な情報を見つけようとリサーチしてみても、当事者向けの情報はなかなか見つかりません。
そこで、彼女は思い切ってYouTubeを始めることにしました。チャンネル名は「How To ADHD」。
彼女は、その活動を通して世界中の研究者や医師、ADHDの専門家や何万人ものADHD脳を持つ人々に出会います。
それまで彼女は、人生でつまずくのは ADHDのせいだと思っていました。
成功するには自分が変わらなければならない、あるがままの自分が成功するなどありえないと考えていたのです。
しかし、ADHDについて本格的に学び、仲間と出会うことで、自分を前向きに評価することができるようになりました。
今ではありのままの自分を受け入れ、誇りに思っています。
ADHDの脳は世界に貢献できることがたくさんあると彼女はいいます。
特に、緊急の課題に取り組んだり、新しいアイデアを使った作業や難題と格闘したり、関心のあるプロジェクトに集中したりするのが得意。
図4 TEDでのスピーチ
出典:ジェシカ・マケイブ TEDxBratislava(2017)を筆者加工
https://www.ted.com/talks/jessica_mccabe_this_is_what_it_s_really_like_to_live_with_adhd_jan_2017?
ADHDを持つ人々に対するステレオタイプや思い込みを越えて深く掘り下げれば、その本質を学ぶことができるのです。
私たちは1人ひとり異なる脳をもっています。
その多様性を認めるニューロ・ダイバーシティは、インクルーシブな社会を構築するのに欠かせないコンセプトなのです。
資料一覧
*1
NRI 野村総合研究所(2021)「日本型ニューロダイバーシティマネジメントによる企業価値向上(前編))
*2
NRI 野村総合研究所(2021)「デジタル社会における発達障害人材の更なる活躍機会とその経済的インパクト ~ニューロダイバ―シティマネジメントの広がりと企業価値の向上~」
https://www.nri.com/-/media/Corporate/jp/Files/PDF/knowledge/report/cc/mediaforum/2021/forum308.pdf?
*3
厚生労働省「知ることから始めよう みんなのメンタルヘルス>発達障害」
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_develop.html
*4
厚生労働省「発達障害の理解のために」
https://www.mhlw.go.jp/seisaku/17.html
*5
国立精神・神経医療研究センター 児童・思春期精神保健研究部「発達障害の疫学研究」
https://www.ncnp.go.jp/nimh/jidou/research/research.html#04
*6
稲垣真澄・米田れい子(2017)「総論:医療の立場から」『児童青年精神医学とその近接領域 58(2):特集 限局性学習症(学習障害)』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscap/58/2/58_205/_pdf
*7
厚生労働科学研究費補助金障害保健福祉総合研究事業「成人期注意欠陥・多動性障害の疫学、診断、治療法に関する研究 平成21年度から平成23年度総合研究報告書」
https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2011/113081/201122036A/201122036A0001.pdf
*8-1
東田直樹 オフィシャルサイト「プロフィール」
https://naoki-higashida.jp/profile/
*8-2
同「最新ニュース」
https://naoki-higashida.jp/news/
*9
東田直樹 (2020)『 自閉症の僕が生きていく風景』 (角川文庫) 株式会社KADOKAWA Kindle 版.
<キャプチャ>
https://drive.google.com/drive/folders/1Y_MWy0fUx2Rzg0tfpLV7WB1OmEyBzw5a?usp=sharing
*10-1
ジェシカ・マケイブ(Jessica McCabe)TEDxBratislava(2017)「ノーマルじゃなくていい — ADHDのままの自分で成功した話|」>トランスクリプト
*10-2
同 >動画
https://www.ted.com/talks/jessica_mccabe_this_is_what_it_s_really_like_to_live_with_adhd_jan_2017?
プロフィール
横内美保子(よこうち みほこ)博士(文学)。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。日本語教育、教師養成、教材開発、外国人就労支援、リカレント教育などに取り組む。
Webライターとしては、エコロジー、ビジネス、就職、社会問題など多岐にわたるテーマで執筆、関連企業に寄稿している。
Twitter:https://twitter.com/mibogon